「最近になってわかるようになった
父の話について」のその2です。
今回は最初の一つ目、
「人の生き死にについて」の話を
記事にしていきます。
小学生だった頃この話を聞いて反発しましたが、
今になってその言葉について理解ができました。
死を恐れるよりも、今ある生を目一杯大切にして
生きたいと思います。
人の生き死にについて
最初の話題は「人の生き死にについて」です。
人の生き死にについて、父は
「死ぬときは死ぬ」
「人は死ぬために生きている」
「無理やり生かされるよりも、
パッと楽に死んだ方が幸せ」
ということを話しておりました。
当時私は、小学生くらいだったと思います。
その時は、生きることはいい事・幸福な事
という考えを持っており、死について
怖いと考えておりました。
このことからこれらの事に対して、
「死ぬのが怖くないのか?」
「長く生きていた方が幸せなのでは?」
と反論し、そして長らくこの話を
理解できないでいました。
しかし祖父と祖母の葬儀、希死念慮を
抱くようになり生き死にについて
深く考えるようになって、この言葉の意味を
深く理解できるようになりました。
「死ぬときは死ぬ」=
「人は死ぬために生きている」=
「死というものは、必ずやってくる」。
人は必ず死にます。
生き物なら必ず、寿命があります。
死というものは、生命が避けようとする
一番怖いものですが、それはしょうがない事、
それを怖がってビクビク生きるよりも、
今日を一生懸命に生きた方が
ずっと有意義だと思います。
「無理やり生かされるよりも、
パッと楽に死んだ方が幸せ」。
生きることは確かに素晴らしいことですが、
必ず幸せな事とは限りません。
生命維持装置に繋がれ、
食べることも動くこともできずに、
排泄物を垂れ流しながら、寝たきりの状態で
無理やり生かされている。
家族目線で考えると、それでも
生きていてくれることが何よりですが、
本人目線だと、人間の尊厳を奪われ、
生きる喜びもない中、只生かされるだけ。
正に生き地獄だと思います。
回復して、また動き回って、食べたり飲んだり
できるのならいいのですが、それが叶わないのに
こんな状態で生かされるくらいなら、
パッと楽に死んでしまった方が、
絶対に幸せだと思います。
希死念慮で死にたくなる事が
あるせいかもしれませんが、
死というものを「怖いもの」だけでなく
「来ることはしょうがない」
「人間として生き生きと生きられない生は
死よりも残酷である」
「死を恐れるよりも、今ある生を
目一杯意味のあるものにする」
私はこう思いました。
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