「普通」の話[その5]

目次

「対等さ」が大事

ここまで長々と書いてきましたが、

当然上記の内容の多くは

個人的な見解・自論であります。

反省を促すにしても

相手の納得が得られず

だって」「でも」を繰り返されては

話が全く進みません。

また自論を全く出すなと言うのも無理な話です、

指摘する側も人間である以上、

個人的な意見を交えて

話をするのは当然のことです。

しかしだからと言って

反省を促したい相手もまた人間、

自分の意見も考えもあるのですから

それを「普通・常識」という、

主語を如何様にも大きくできる言葉を用いて

押し殺させて服従だけを強要するのも

傲慢というものです。

私はだからこそ、

老若男女の違いを越えた

「対等さ」

が重要なのではないかと考えます。

それは

下手に出るのではなく、

かといって上から頭ごなしに押し付けるのでもない、

その人と一緒にミスの原因を探し・反省と改善促す

ということです。

同時に、

下手に出ること、

上から頭ごなしに押し付けられることを

強要されるべきではない

と私は考えます。

皆誰しも「自分」を持っており、

「十人十色」という四字熟語が存在するように

一人一人はみんな違う「自分」を持っています。


その「自分」を誰かに踏みにじられることは心地よい事ではありません。

その「自分」を踏みにじることは、踏みにじられたい人以外許されません。

その「自分」を振りかざし、受け入れろと強要することは、踏みにじることと何も変わりません。


大切な「自分」守ることも大切ですが、

誰しも皆違った「自分」があることを知り

認め

そして尊重することが

「対等さ」には必要だと私は考えます。

一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

SMAP「世界に一つだけの花」より引用

綺麗ごと

あくまで自論

理想論など

様々な反論を招くと思いますが、

少なくとも

「相手を自分とは違う人間」

「あくまでも自分は自分、相手は相手」

という意識を持つだけでも

変わってくるのではないでしょうか。

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