学生の為の人間関係について、メンタルヘルスブロガーはこう考える

記事用画像

「鬼野子」です。


今回は学生時代に悩んでいたことの大部分、


人間関係についてです。


(「いじめ」って言葉を使うと、


なんか濁している気がするので、使いません)


「変わっているから」という理由で、


組織内で浮いていると、均質化を強要されたり、


のけ者にされたりと言うのは、世の常です。


私も変わり者だった故に、色々問題を起こし、


おもちゃにされて、悩まされてきました。


書いているときも色々と嫌なことを思い出して、


凄く嫌な気持ちになっています。


この記事を読んでいる多くの方も、


もしかしたら現在進行形で抱えているのかも


しれませんね。


生徒同士の話だけではなく、


教員との関係がぎくしゃくしている人も


いるかもしれませんね。


執筆していて難なのですが、


ここを書いている段階では、


どんな記事にするかののイメージが


全くありません。


一応「考えられる人間関係の悩み」


「今なら言える、それに対する考え方」


「人間関係を楽にするアイディア」


この辺りを書いていけたらいいなと思います。


今回は敢えてノープランで記事を


執筆してみました。


「どうなるのかな」という興味もそうですが、


組み当てながら執筆していくという試みが


面白そうだなーという、いつものノリです。


ノリと勢いが、このブログの原動力です。


グダグダするかと思いますが、


最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

目次

考えられる悩み

さて、まずは学校内で考えられる、


人間関係の悩みというものを


並べていきたいと思います。


まずは学生間の人間関係です。


「みんなお友達」なんていうのは


頭お花畑の馬鹿の戯言です。


クラスというのは、社会の縮図です。


1つのクラスにはカーストが存在しますし、


浮いている人間は容赦のない排斥を受けます。


当然派閥が存在し、力のある派閥は


発言権を有し、無い派閥はいいようにされます。


弱肉強食・出る杭は打たれる。


正にこの世の理不尽を体験できる、


実に素晴らしい場所です(Fu〇k・・・)。


これを世の中「いじめ」等と抜かして、


子供の可愛い悪戯っぽく言っていますが、


受けていた身からすれば


「名誉棄損」「暴行」「器物破損」


これで自殺に至る生徒もいるのですから、


裁かれるべき立派な犯罪です。


個人間でも合う合わないがあり、


多くの人間がそうであるように、


「自分と違う他人を


受け入れる」なんてことが


子供にできるはずもなく、


精神的苦痛を味わわされることだってあります。


これだけならいいのですが、この問題は


何と管理者たる教員と生徒の間でも


起こりうる話です。


それだけならまだしも、彼らは


「小さな社会の秩序を安定させる」という


自分の業務を意図的に怠ったり、


場違いな解決法を取ったり、


そこまで手が回らなかったりして、


役に立ちません。


断言いたします。


教師は


全く


何の


役にも


立ちません。


寧ろカーストの下への加害を


助長するものがいるくらいですから、


役に立たなさには困るばかりです。

人間関係への考え方

さて、私の学生時代の負の感情を


盛大にぶちまけたところで、本題へ。


学校内での人間関係で辛くなる原因は、


・孤独、排斥

・単純な精神的苦痛


この2つかなと思います。


そもそもの話、日本の学校というものは、

「トップ1%の人だけが知っている


「お金の真実」」という書籍と


名前を全く覚えていませんが、哲学の本を


併せて考えると、


「子供を原料に、従順な社会人を生産する工場」


ですので、変わり者と呼ばれる人は


所謂「規格外品」なのだと思います。


当然そういった人にとって、学校は


生きにくい場所となっております。


ここまでを総合して考えるに、私は


「辛くて苦しくなるくらいなら


行かない方がいい」



と思います。


私は某少年革命家を肯定する立場ではありません


ですが、心のよりどころにならない場所に


執着するのも違うと思います。


学校で精神的苦痛を受けて苦しむならば、


役に立たない学校の大人たちに頼って、


楽になる事を祈りながら苦痛に耐えるよりも、


学校や保護者・場合によっては専門機関や行政と


よく相談のうえで休むのもありかなと思います。

私なりの考え・アイディア

まぁ簡単に「休んだ方がいい」というだけなのも


流石に「ヒント」にしては無責任な気がします。


なので、今ならできたかもしれない、


人間関係での問題を楽にするかもしれない


アイディアを考えてみました。


ズバリ、「されたことの証拠を残す」です。


難しかもしれないですが、日記をつけたり


ボイスレコーダーや写真・動画など、


「こんなことをされて、精神的苦痛を受けた」


ということを残すといいかもしれません。


学校を休む際にも、仮に相手を訴える時も、


状況を詳しく説明するときも、証拠があった方が


説得力があります。


ボイスレコーダーやカメラではなく、


スマホのアプリで撮る方が現実的かと思います。


日記は弱いような気がするので、できるなら


スマホで証拠を残した方がいいと思います。


「大げさ」「あまりにも現実離れした話」


という意見もあると思いますが、


先にも述べたように説明したりする際にも、


根拠を持っていた方が役に立つと思います。


なるべくたくさん、精神的苦痛を受けた証拠を


残すべきだと私は思います。


・・・「訴える」みたいなことを言いましたが


それはあくまでも、あまりにもひどい時の


最終手段で、あくまで例として挙げてみました。


実際には大人に相談する際に役立つと思います。


なんか同じことを


3回くらい繰り返したと思いますが、


「証拠を残しましょう」。


今回の記事は以上です。


それでは、また次回の記事でお会いしましょう。

ランキング参加しています、クリックお願いいたします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次