自分が何故「継続」できるのかについての考察と今後の展望

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「鬼野子」です。

「そういえば、これ記事になるんじゃね?」

と思ったことを記事にしたいと思います。

特にきっかけとかはありません。

ふと思いついたものです。

自分は意外と、長く継続出来ていると

最近思います。

成果が出なくて、1年未満でやめてしまう人が多い

ブログを、1年以上続けられているのは、

何かコツがあるのではないかと思いました。

もしあるのであれば、これを億劫になっている

漫画や動画にも転用できます。

また、継続できなくて困っている人のための

ヒントになるのではないか、と思いました。

私の場合、継続出来ているものについて

「あまりこだわっていない」ということが

挙げられます。

「気楽にやっている」とも言えます。

億劫になるものは、総じて力みすぎております。

ここから「自分は完璧主義だ」と、

結論付けております。

こだわらないためにも「まぁいっか」を

合言葉にして、徐々にハードルを下げていたり、

ほんの少しづつでもやっていったりと、

継続のために様々な工夫を、

自分でも知らないところでやっております。

今回の記事では、「私はなぜ継続できるのか」

そのメカニズムを解明し、それを皆様に

共有できたらいいなと思います。

そして、継続したいけどできないという悩みを

解決するヒントになったら、うれしいです。

目次

自分の「継続力」

最近この「継続力」について実感するのは、

主にブログです。

言ってしまえば当ブログ、

「避けるべきジャンル」を扱ってます。

なので当然、人の流入やとどまる時間、

いわゆる伸びは良くないです。

心がへし折れることが何度もありますが、

それでも続けてこれたのはなぜかと

考えたからです。

ゲームでもそうなのですが、どんな困難で

心がへし折れてキレ散らかしても、

続けている自分がいます。

「この継続の根源は何だろう」

私は私に対して、このような疑問を

持ちました。

億劫になるものもあれば、

諦めずに継続するものもある。

この違いは何だろう。

これを活かして、いろいろなこと、

例えば億劫になったものに応用して、

モチベーションを回復するといった使い方が

できるのではないかと考えました。

単なる「執着」の一言でも、十分に事足りると

思うのですが、折角使えそうなものが

出てきたので、これを活かして色々なものを

継続していきたいと考えました。

特に自分の完璧主義ゆえに億劫になっている

漫画と動画という2大プロジェクトに、

この特性が応用できると考えております。

そしてこの考察が、多くの人の

「継続ができない」という悩みを

解決するヒントになったらいいなと思い、

記事にさせていただきました。

継続の源流

まずここで、自分が続けられていることと

そうでないものを分けました。

続けられているものは、

「ゲーム」「筋トレ」「ブログ」

億劫になっているものは、

「漫画」「動画」

となります。

まず後者の億劫な理由としては、

拘るところを選べていないところです。

拘りたすぎて、その拘りが

自分で自分を縛ってしまっています。

これが自分を「完璧主義」と

結論付けた根拠です。

さて今回の本題である前者について、

考えていきたいと思います。

「楽しい」「好き」という観点では、

「漫画」「動画」も同様なので、

これは原因ではないと考えます。

次に思い当たるのは「拘り」という観点。

「ゲーム」「筋トレ」「ブログ」においても

拘りはありますが、それによって

継続が邪魔されていません。

「継続」と「拘り」が、うまく共存していると

考えられます。

ただし特にゲームは、

「キレる」という問題はありますが、

強い拘りがあります。

とするとここに、自分の継続力の

源流が隠れているように感じます。

次項では「ゲーム」が継続できる理由を

深堀して、継続の源流を

探っていきたいと思います。

「ゲーム」から見える、継続の源流

「漫画・動画」と「ゲーム」。

これらには「強い拘りがある」という共通点が

あります。

しかし片方は、それが自分を億劫に

させてしまっている。

もう一方は「キレる」という問題はあれど、

継続出来ている。

果たしてこの2つにはどんな違いがあるのか。

その答えを探るべく、ゲームをしていて、

負け続けて、キレ散らかして、

自分に失望しながらもコンティニューするときの

自分の感情を、思い出すことにします。

そこから見えてきたのは、

「なにくそ」

と思う負けづ嫌いな気持ちでした。

「この苦難の先に、自分の目指すものがある」

という目的意識でした。

「絶対クリアしてやる」という熱でした。

ブログにおいても、

「収入と呼べる収益を出して見せる」

筋トレにおいても

「強い自分になってやる」

といった、熱があります。

対して「漫画・動画」には、

今のところそういった熱がありません。

ここから私は、

「熱がないために、完璧を求めようと拘る自分に

負けてしまって、億劫さを感じている」

と、結論付けました。

この「熱」、つまり情熱こそが、

自分の継続の源流と

いえるのではないでしょうか。

情熱があるからこそ拘っても続き、

情熱がないからこそ完璧主義に負けて

億劫になてしまう。

どんな活かし方があるか

実りのある素晴らしい考察が、

できたように思います。

もし間違っていたとしても、

そしたら、また考察をし直せばいいのです。

そうして本当の自分に気づければいいと、

私は考えます。

さて、この考察を億劫になっている

「漫画・動画」に、どうしたら

活かせるでしょうか。

これについては「ブログ・筋トレ・ゲーム」の

はじめた時を思い出せば答えは出ます。

初めはこれらにも、熱はありませんでした。

少しづつはじめ、少しづつ進めていき、

いつの間にか情熱が生まれていました。

ここから言えるのは、

「少しでもいいからやる時間を作る」です。

億劫が前提にあっていても、好きなことです。

続けていれば情熱が生まれると思います。

現に趣味で描く落書きに関しては、

描いているうちに気分がノッてきて、

「絶対描き上げてやる」という情熱が、

生まれておりました。

ほんの少しでもいいので、

とにかくやる時間を作る。

悩まされていた完璧主義との付き合い方に、

突破口が見えました。

とりあえず、まずは漫画から

取り組む時間を少しでもとって、

自分の情熱に火をつけたいと思います。

勿論これも、少しづつ始めます。

なんせ億劫が、前提にありますので。

まとめ

自分の継続力の源流について、

今回の記事で考察してまいりました。

ゲームやブログなんかは続くのに、

どうして漫画や動画は億劫なのでしょう。

このような矛盾を疑問に思い、その継続の

メカニズムを解明しようと思いました。

継続出来ていないものは、

億劫に思っているのですが、

同時に好きなことでもあります。

では「拘り」という観点では?

これも拘りにはむらがあり一概には言えません。

しかし拘りの強いゲームが継続出来て、

拘りの強い「漫画・動画」が続かないのには

何か違いがあるはず。

キレて、絶望して、

それでもコンティニューするとき、

自分の中には確かな情熱があります。

ブログや筋トレにもありますが、

一方の漫画・動画には、それがありません。

これこそが継続の源流だと気づきました。

ではどうしたらいいか。

答えは簡単です。

少しでもいいので、時間を作ってはじめ

すこしづつ継続する。

元々好きなことなので、きっと情熱に

火が付くはずです。

今回は自分自身を分析する過程を、

今まで以上にわかりやすく

文字化できたと思いますが、

いかがだったでしょう。

今回の私の考察が、そしてその過程が、

あなたのよりよい明日のヒントになったら、

嬉しいです。

今回の記事は、以上です。

それでは、また次回の記事でお会いしましょう。

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