自分が凝り固まっているのではないかという話[その3]

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凝り固まってないか考えてみる

結論から言えば凝り固まりつつある、

若しくは凝り固まっていると思っています。

「そう評価することで、

凝り固まることへ意識を向けている」

という方が強いかもしれません。

結局自分の知りえる範囲で、

「今までしてこなかったこと」

をしているのもそうですが、

また、こんな記事書く程、

働くことへの憎悪を深めているのです。

そりゃ「凝り固まってなきゃ何なの?」って話です。

他にも「読書していない」こともありますね。

私は

「活字は強制的に読まされるもの」

という認識があるため、活字が嫌いです。

これも十分、凝り固まっていると思います。

結構凝り固まっているんですね、私。

でも私は、

「凝り固まっている自分」を変えようとは思いません。

「変えないんかーい」と言われるかと思われます。

えぇ、変えません。

むしろ受け入れて、そんな自分と仲良くしようと思います。

何故って?

「変える」って、自分を拒絶することだと思います。

自分っていうのは、どんなに拒絶しても、

見ないようにしても、蓋をしても、

結局はいずれ向き合って、

受け入れていかなければならないものです。

自分を「自分が思い描く理想の何か」に矯正することは、

まさに「自分」という存在への拒絶ではないかと私は考えます。

これも「凝り固まった」意見かもしれません。

結局は「自分は自分の殻の中でしか生きられない」のかもしれません。

それでも私は、

そんな「自分の殻の中で生きる自分」を認識し、

受け入れ、そんな自分と仲良くなって、

より良い明日を目指したいと思います。

それと同時に、

自分の知る範囲で

「新しい事」

「やったことのないこと」

に挑戦したいと思います。

例え完全に自分の外側の世界のもの

(=自分の知らないことや自分と違った意見・考え方)

でないにしても、

「新しい事」に挑戦することは、

自分自身の知見を増やすことに

変わりはないと思います。

新しいものを入荷し続ければ、

ブログ・動画・同人誌のネタにも、

新しい収益化のチャンスにもなると思います。

「行動」することは、本当に重要なことですので、

ガンガン行動したいと思います。

また、

自分の外側の世界を拒絶しない

受け入れられない世界には距離を置く、

と言うことも心がけたいと思います。

自分の外側の世界こそ

まさに未知なるフロンティア、

目の前に現れたら

願ったりかなったりじゃないですか。

しかしそれが、

自分の受け入れられない世界だった場合、

それを攻撃するのはお門違いと言うものです。

その世界は自分の外側のモノなので、

決して自分の世界とは交わることが無いのです。

だって自分の世界ではないんですから

そっと距離を置き、

「そういう世界もあるんだ」

と遠くから眺めるだけでとどめましょう。

もしその世界から攻撃されたら

(=誹謗中傷されたら)、

その時は全力で逃げましょう。

立ち向かっても、

世界が違うのでお話になりません。

ただ疲れるだけです。

そんなの心に毒にしかなりません。

メンタルヘルスを謳うこのブログ的には、

「三十六計逃げるに如かず」

です。

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