上下関係の話[その3]

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理不尽さの正体

理不尽な上下関係を生む、組織を構造にくっつく余計なもの。

それは「度を越えたわがまま」です。

他人よりも上でありたい、優れた存在でありたい」という

利己的な考えが、この理不尽な上下関係を生んでいるのだと

私は考えます。

先ほどは、「確かに 指示を出す人と指示に従う人が

組織にいるのは理解できる


と述べましたが、

これには「指示に従う人が指示に従うことで

支持を出す人が支持することで組織が成り立つ


という相互関係が成り立ちます。

しかし実際の組織は、そう言った相互関係よりも、

長く勤めているから・年上だからという薄っぺらい理由

上下が決まります。

役職や肩書が理由の場合もあります、

もっとひどいと明確な理由がないこともあります。

そんな薄っぺらい上下に従うことこそ

まさに理不尽だと私は考えます。

役職には「人を動かして仕事を効率化する

という責務しかありません。

肩書には「その職についている」という効力しかありません。

年齢には一体どんな権力が国や法律から与えられているのか

私には理解できません。

まして「理由がない」など言語道断です。

人の上に立つからには、それ相応の理由が存在し、

それに比例した責任が存在しますが、

それは決して、他人を尻に敷き、見下し、

人生観や価値観を押し付け、

相手を否定する免罪符にはなりません。

ところが現実では、

俺は(私は)、〇〇(役職や肩書、年長者)だから偉い・上だ

という意味不明な上下関係がまかり通っています。

私たちはハラスメントや生き方・価値観

ものの考え方に至るまでに文句を付けられ、

挙句ハラスメントまで受けなくてはなりません。

これが「度を越えたわがまま」でないのなら、

何といえばよいのか、私にはわかりません。

ここまでされて「しょうがない」と済ませられる聖人が

果たしてどのくらいいらっしゃるでしょうか。

少なくとも私は、

この記事を書いているだけでもはらわたが煮えくり返る想いです。

私も、アルバイトや職場、学校や家庭でも、

この理不尽な上下に甘んじ続けてきました。

しかしアドラー心理学の「人は対等」という考えに触れ、

鬱病やADHDを宣告された中で、

当たり前と思っていたものを見直して、

新しい自分として再スタートを切り、

様々なことを考えるようになって

やっぱりおかしい」と思うようになりました。

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