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偽善について思うこと
さて、某所に参加した感想はこのくらいにして、
今回の本題である「偽善」についての私の考えを述べさせていただきます。
私は「偽善」とは、「鎧であって衣装」と考えます。
これは「自分をよく見せようと取り繕う」という守りの姿勢からそう考えました。
自分の見せたくない部分を人から守る「鎧」であり、
人から称賛を得るために見た目を取り繕う「衣装」。
それが偽善の中身ではないかと考えます。
しかし「自分をよく見せたい」と言う欲求も、
見せたくない部分と言うものは、
誰にでもあるのです。
それが受け取る人にとって不愉快だったりすると、
人は「偽善」という言葉が使われるのだと思います。
「要するに受けて次第」という部分があるようにも思います。
「自分がこの善意を受け取ったら、不愉快か」ということを考えられると、
いいかもしれません。
私の場合ですが、「自分がされたいことを人にする」と言うことを心がけています。
何故なら完全に人の気持ちを理解するなんて、
超能力以外できっこないと私が考えるからです。
「人が何で不愉快になるのかがわからないのなら、
せめて自分が不愉快になることを人にしないようにしよう」と言うことです。
これは「善行・偽善」以外にもいろんなことにあてはめられると私は考えます。
でも世の中、いるんですよね。
そうやって行動していると「自分の事ばかり考えている」とか「偽善者」って避難してくる奴。
私のであってきた、俗に「先輩」と呼ばれる生物はほとんどそんなのでした。
母親もそうでしたが、「人のことを考えて行動しろ」と抜かすんですよ、そう言った生物は。
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