偽善について考える[その4]

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偽善者上等

今なら言えます。

「うるせぇよ馬鹿」

先述のように、人が何を望んでいるかなんて、大体しかわからない上に、

結局は自分の考えで不足分を補う必要があるのです。

ましてそういった発言をする人は、少なくとも私のであった発言者は

「自分の思い通りに動く」ことを要求しているのです。

だったらリ〇ちゃん人形で遊んでろ。

人の為に行動したいけど、何が人の為になるかわからないときは、

自分が何をしてほしいかを考えると良いと思います。

それで「偽善者」呼ばわりされたのなら、「私はあなたじゃないから、

あなたの望むことなんか知らない」くらいでシャットアウトすればいいと思います

(少なくとも、その位の心持での方が生きやすいと思います)。

「自分の利益の為に、良い人を演じる」のではなく、

「少なくとも自分はこうされたいということをする」

と言うのは「偽善」ではないと思います。

それで偽善者呼ばわりされるのなら、もう偽善者でいいと思います。

また人は、自分の利益の為に何か行動をすることが大前提だと私は考えます。

「自分の利益の為に、良い人を演じる」という行為そのものも、

決して悪ではないと思います。

それが誰かを傷つけたりしていなければ。

もし自分の行動が誰かを傷つけているとわかったのなら、

その都度正せばいいと思います。

別に「偽善者」だったからと言って、

「自分の保身や利益の為に、良い人を演じている」からと言って、

自分を卑下することは無いと思います。

誰かを傷つけたり、

自分がされたらいやなことだったりしなければ、

それを「偽善」と指摘されても、

「偽善者上等」と、図太く生きていいと思います。

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