自分の「継続力」について[その3]

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「自分の「継続力」について」のその3です。

今回は「自分の継続の源流」を探すために、

本格的に自分の感情にメスを入れていきます。

億劫になっているものと、

なっていないものをいくつか

サンプルとして取り出し、観察しております。

共通点はないか、何が違うのか、

そういったところを注意深く探ります。

もう完全に人体実験です。

本当にありがとうございます。

目次

継続の源流

まずここで、自分が続けられていることと

そうでないものを分けました。

続けられているものは、

「ゲーム」「筋トレ」「ブログ」

億劫になっているものは、

「漫画」「動画」

となります。

まず後者の億劫な理由としては、

拘るところを選べていないところです。

拘りたすぎて、その拘りが

自分で自分を縛ってしまっています。

これが自分を「完璧主義」と

結論付けた根拠です。

さて今回の本題である前者について、

考えていきたいと思います。

「楽しい」「好き」という観点では、

「漫画」「動画」も同様なので、

これは原因ではないと考えます。

次に思い当たるのは「拘り」という観点。

「ゲーム」「筋トレ」「ブログ」においても

拘りはありますが、それによって

継続が邪魔されていません。

「継続」と「拘り」が、うまく共存していると

考えられます。

ただし特にゲームは、

「キレる」という問題はありますが、

強い拘りがあります。

とするとここに、自分の継続力の

源流が隠れているように感じます。

次項では「ゲーム」が継続できる理由を

深堀して、継続の源流を

探っていきたいと思います。

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