自分の「継続力」について[その4]

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「自分の「継続力」について」のその4です。

今回は億劫になっていないものの中で、

億劫になっているグループとの共通点が多い

「ゲーム」にスポットを当てて、

嫌になっているときの自分の感情を観測し、

その大本となるものを探していきます。

といっても、その時の自分を「思い出す」

というだけの話です。

当時の自分が

何を感じ、何を思い、どんな風になったか

を思い出します。

目次

「ゲーム」から見える、継続の源流

「漫画・動画」と「ゲーム」。

これらには「強い拘りがある」という共通点が

あります。

しかし片方は、それが自分を億劫に

させてしまっている。

もう一方は「キレる」という問題はあれど、

継続出来ている。

果たしてこの2つにはどんな違いがあるのか。

その答えを探るべく、ゲームをしていて、

負け続けて、キレ散らかして、

自分に失望しながらもコンティニューするときの

自分の感情を、思い出すことにします。

そこから見えてきたのは、

「なにくそ」

と思う負けづ嫌いな気持ちでした。

「この苦難の先に、自分の目指すものがある」

という目的意識でした。

「絶対クリアしてやる」という熱でした。

ブログにおいても、

「収入と呼べる収益を出して見せる」

筋トレにおいても

「強い自分になってやる」

といった、熱があります。

対して「漫画・動画」には、

今のところそういった熱がありません。

ここから私は、

「熱がないために、完璧を求めようと拘る自分に

負けてしまって、億劫さを感じている」

と、結論付けました。

この「熱」、つまり情熱こそが、

自分の継続の源流と

いえるのではないでしょうか。

情熱があるからこそ拘っても続き、

情熱がないからこそ完璧主義に負けて

億劫になてしまう。

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