潔癖についての、自分との向き合い方。
さて、いくら潔癖とは言っても、時と場合によってはきったない場所に立ち入らなくちゃいけない時があります。
行きたくないですが。
すっごく行きたくないんですけど、そうもいっていられない場合は、私はどうしているか。
私の場合、「ここに入っても最悪死なない」と自分に言い聞かせて、強引に割り切ります。
精神論的な解決方法ではありますが、これ以外私は思いつかないですね。
正直「自分と向き合う」云々の話ではなく、「なるべく耐える」の次元の話なので、苦痛を短くすることに注力しましょう。
トイレなら「最低限絞り出してとっとと出る」と言ったように、嫌な空間にいる時間を短くしましょう。
「なるべく周りを見ない」「ほかのことを考えて気を紛らわす」と言ったこともやっています。
兎に角こればっかりは、耐えるしかないですね。
事前に行かないようにしたいですが、どうしても行かなきゃならないときは耐えるしかないです。
まとめ
散々きったない話しといてなんですが、これで終わりです。
「えぇ・・・」と思われるかもしれませんが、笑って許してください。
まぁ、メインが「潔癖って辛いっすよ」って話のつもりだったので今回は短めです。
潔癖が辛いということだけはなんとなく伝わったのではないでしょうか。
外でトイレを探すのも一苦労でございます。
床に落ちたものとかも手にするのに抵抗があります。
まぁ読者の中にも、共感していただける方がいらっしゃると思いますので、「あるあるぅ~」と楽しんでいただけたら嬉しいです。
最近では、私に選択の権利がある状況が主なので、我慢するのは便意や尿意くらいです。
しんどいですが。
どうせならきれいなトイレで、落ち着いて用を速やかに足して、すっきりした気持ちでいたいものです。
トイレくらいでしか自身の潔癖で困っていないので、今のところはカウンセラーにお話しするくらいです。
今思うと対人関係で「明確な平等」を求めたり、細かいことをなぁなぁにしたり、敢えてすっ飛ばしたりする「暗黙の領域」が許せないのも、こういった潔癖性が根幹にあるのかもしれませんね。
これも掘り下げて、今後に生かそうと思います。
その時はまた、この記事のリライトなり新規記事なりで投稿したいと思います。
今回の記事は以上です。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう。
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