「楽をする」ということについて

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「鬼野子」です。

父と話してた時のこと、

父は非常にたくさんのアイディアを

持っている人なので、私は父に

「そのアイディアの源流って何?」

って聞いたんです。

父は「楽をしようと考えているからかな」

と答えました。

自分が楽をしようとするから、

それを実現するためのアイディアが出てくる。

どうやったら目の前にあることを、

より楽にこなすことができるか。

どうしたら自身の掲げる目的を、

楽して達成できるか。

こういった発想は、思えば私にはいままで

なかったものだったので、新鮮でした。

もちろん、人に迷惑をかけない範囲で、ですが。

私は「楽をする=悪」と

考えていた人間でしたが、

色々考えるようになったうえで、その話を聞くと

「楽をするのって悪いことじゃないんだな」

って思ったのです。

最近「自分は凝り固まっている」と認識して

生きているので、こういったことにも

気付けるわけです。

私は生きることが不器用でへたくそなので、

必要最低限以上の努力をしてしまうことも

しばしばあります。

そしてそのせいで、自分が疲れたり

いやな思いをすることがよくありました。

今回はそんな気付きを・学びを、

皆様と共有しながら、

自分に落とし込んでいきたいと思います。

今回の記事が、あなたの生きやすさに

つながったらうれしいです。

目次

ことの発端

それは何気ない会話でした。

まぁありふれた、「過去の栄光の自慢」では

ありますが、嘘か誠かは定かではないですが、

父は昔からアイディアマンでした。

父曰く、昔から廃材やジャンク部品を駆使して

興味の赴くままに機械を作ったり、

自由研究にも人とは違ったものを提出したり。

社会人になり、公務員となった際も、

設備や制度について

アイディアを出していました。

昔から、こういった武勇伝を聞かされていたのも

私の自己肯定感が低い理由かもしれません。

「この人は絶対超えられない」という気持ちが、

昔から持っていました。

そういった自分とも向き合えるようになったので

父に聞いてみました。

「アイディアの源流って何なの?」と。

その時に聞いたのが、

「楽をすることかな?」

というものでした。

自分の現状を楽にするために、

または自分の持つ目的を達成する過程で

どうしたら楽ができるかを考え、

それを実行に移してきたとのことでした。

思えば人類の発明も、全て人類が

楽をするために作られたものばかりだなと、

この時私は考えながら聞いておりました。

楽をするために道具を作り、

楽をするために制度が生まれ、

父に限らずアイディアの源流はすべて、

「楽をすること」に繋がるのだと感じました。

楽をすることって?

今回の話の「楽をする」というのは、

「労力を減らす」、

「100点を目指さない」です。

ある目標を達成するために、全力で取り組む

・・・のではなく、達成するための

最低限の労力で行動するということです。

私のように不器用な人間は、

さじ加減がわからないから、全力投球で

それで疲れたり・心を病んだり

してしまうんです。

父は私に言いました。

「テストの点数だってそう、ボーダーラインが

60点なら、それを目指して頑張ればいい」と。

(ボーダーラインでも満足しなかった奴が

どの口でとは思いましたが)

個人的な感情は置いておいて、

目的を達成するために、最低限の労力で

頑張ればいいじゃないか、ということです。

特に私は完璧主義ですので、全てにおいて

完璧でなければ失敗と同義なのです。

しかしそのために、全力で何事にも取り組み

それを毎日すべてに要求するのでは、

疲れてしまいます。

しかも「完璧」ってものも、目指したら

きりがないことです。

下を見てもきりがありませんが、上も同じです。

なので、「最低限ここまでやればいい」

というラインで妥協して、切り上げたほうが、

心にも良いのです。

父は「楽をするために賢く」生きているのだと、

感じました。

悪いことばかりじゃない

さて、ここまで話してきたのですが、

多くの場合、社会では「楽をすること」

というのは悪く見られます。

日本社会というものは

「全力以上の努力」を美徳としているところが

ありますので。

「そこそこ労力で、そこそこのものを」

というのは、あまり歓迎されません。

そして「楽をする」というと、

「さぼる」「ズル」というような

イメージがあることは

否めません。

でも「全力以上の努力」をするのって、

「全力」よりも大変なことです。

自分のキャパシティを超えたことを

するのですから。

そしてそれを、毎日毎日、

際限なく続けるわけですのです。

こんなことばっかり続けていたら、

いずれ壊れてしまいます。

その全力以上が楽しかったり、

のめり込めるものならいいのですが、

そうでないのなら、ただただ苦痛なだけです。

それで壊れてしまっては、意味がありません。

自分ののめり込めるものと、そうでないもので

労力を増減させることは、

むしろいいことのように感じます。

それこそまさに、「賢い生き方」

なのかもしれません。

他人に迷惑をかけないのなら、寧ろ

楽に賢く生きたほうがいいと

私は思います。

今後の人生にどう生かすか

さて今回の体験を経て、これから私は

どのように生きていこうか、

皆さんにどのような提案ができるかを

考えていきます。

結論としましては、

「楽をするためにも頭を使おう」

です。

自分の生き方は、「まっすぐで不器用」

いつも全力で、それでいていつも疲れています。

動画や漫画でそれが顕著で、完璧を求めすぎて

全力で頑張りすぎて、億劫になっています。

今回の学びは、この問題の解決の糸口に

なりそうです。

どうしたら挿画や漫画を、楽に作成できるか。

動画編集やペン入れなどを、如何にして

楽に済ませられるか。

これらを考えるようにしたいと思います。

日常生活でも同様に、楽な方法を考えるように

頭を使って行動したいと思います。

言い方は悪いですが、私は今まで

頭を使わないで生きていたところが

あると思います。

なのでこれからは、頭を使って

賢く生きていきたいと思います。

勿論その「楽をする」ということが、

他人に迷惑をかけない範囲での話ですが。

いつも全力でまっすぐ体当たりして、

ヘロヘロになっている私ですが、

今回の学びを生かして、これからは

「楽をするにはそうしたらいいか」

を考えて行動したいと思います。

精神的負担が減れば、億劫と思うことが減って、

私の行動範囲がより広がると考えます。

まとめ

父の自慢話から、学んだことについて

記事にしていきました。

アイディアマンだった父に、

「そのアイディアの源流は何?」と

聞いたところ、

「楽をすることを考えている」と話したことから

楽をするってどういうことだろうと

考えてみました。

「労力を減らす」、

「100点を目指さない」、

これらが「楽をすること」だと思いました。

目的を達成するために、最低限の労力で

頑張ればいいじゃないか、ということです。

ただ日本社会というものは、

「全力以上の努力」を美徳とされており。

「楽をする」というと、

「さぼる」「ズル」というような

悪いイメージがあります。

ですが他人に迷惑をかけないのなら、

心からのめり込めないものに対しては、

寧ろ楽に賢く生きたほうがいいと

私は思います。

これからの生き方については、

「人に迷惑をかけない」ということを前提に、

楽をする・労力を減らすには、

どうしたらよいかを考えながら

生きていけたらいいなと考えております。

不器用でまっすぐな生き方も、

確かにいいのですが、それで生きにくくなっては

意味がありません。

自分の心の為にも、そして

よりよい明日の為にも、

楽をすることを考えて生きてもみましょう。

今回の記事は以上です。

それでは、また次回の記事でお会いしましょう。

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