鬱病ってどんな感じ?
私はとある人にこんな説明をしました。
「あなたのいう”やる気が出ない”とか
“めんどくさい”は、
家で例えるなら外装や内装の話」
「鬱病の人のそれは、
地盤や基礎の話をしている」と。
( ^ω^)・・・?
読者の皆さん、絶対こんな顔してる。
まぁ「簡単に言うと、こういう表現になる」
ということが言いたいんです。
めちゃくちゃ簡単にまとめたつもりなんですが、
正直経験者以外は
![理解不能](https://dame-ningen-ikikata.com/wp-content/uploads/2022/04/EcpFy7ZVAAA2IEH.jpg)
こんな風に考えるのを
やめてるのではないでしょうか。
私なら少なくとも放棄します。
さて、ぶっちゃけ経験者も
ついてこれないような例えかもしれないので、
例えを抜きに説明します。
「鬱でない人のやる気がない・めんどくさいは
“その作業に対して”」、
つまりは仕事・学業・そのほか
やらなくてはならない何かの作業について
やる気がない・めんどくさいと言っています。
一方
「鬱病の人のやる気がない・めんどくさいは
“生きていることまで含む”」、
要するに生きていることさえ放棄したい
という意味です。
鬱でない人は”生きること”は大前提で
そのうえで楽をしたいと考えているのに対し、
鬱病ではその前提は崩れています。
それくらいエネルギーがすり減っているのです。
![](https://dame-ningen-ikikata.com/wp-content/uploads/2022/01/9ff7253c1ecfb8e07c7c5f3e072b4844-300x150.webp)
この最たる例が、
以前記事にした「鬱の底」です。
でも「鬱の底」って一番鬱が酷い時なだけで、
鬱病の人、少なくとも私は常に
「生きることを放棄したい」と考えています。
それをつなぎとめているのはやっぱり
「生存本能」、
要するに生物に備わった最終安全装置です。
これさえ解除して自殺してしまう方も
この世にはいるのが鬱病の恐ろしいところです。
一昔前に
「ブラクラ(コンピューターウィルスの一種)踏んだ、鬱だ、死のう」
なんてネタがありましたが、
こういう人には
甘えるなヴォケでいいと思います。
鬱なら「おはよう、死のう」
「お休み、今日も死ねなかった」です。
そもそもウィルスに感染するほど
PCをいじる元気さえない人もいます。
生きる元気さえないか、
生きているのは大前提で元気が無いか、
それが鬱病かそうでないかの
「境界」ではないでしょうか。
「心の風邪」なーんてぬるいですわ。
「心の複雑骨折」って言ってほしいものです。
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