「鬱って理解されないなぁ」と感じた話[その2]

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鬱病ってどんな感じ?

私はとある人にこんな説明をしました。

「あなたのいう”やる気が出ない”とか

“めんどくさい”は、

家で例えるなら外装や内装の話」

「鬱病の人のそれは、

地盤や基礎の話をしている」と。

( ^ω^)・・・?

読者の皆さん、絶対こんな顔してる。

まぁ「簡単に言うと、こういう表現になる」

ということが言いたいんです。

めちゃくちゃ簡単にまとめたつもりなんですが、

正直経験者以外は

理解不能

こんな風に考えるのを

やめてるのではないでしょうか。

私なら少なくとも放棄します。

さて、ぶっちゃけ経験者も

ついてこれないような例えかもしれないので、

例えを抜きに説明します。

「鬱でない人のやる気がない・めんどくさいは

“その作業に対して”」、

つまりは仕事・学業・そのほか

やらなくてはならない何かの作業について

やる気がない・めんどくさいと言っています。

一方

「鬱病の人のやる気がない・めんどくさいは

“生きていることまで含む”」、

要するに生きていることさえ放棄したい

という意味です。

鬱でない人は”生きること”は大前提で

そのうえで楽をしたいと考えているのに対し、

鬱病ではその前提は崩れています。

それくらいエネルギーがすり減っているのです。

この最たる例が、

以前記事にした「鬱の底」です。

でも「鬱の底」って一番鬱が酷い時なだけで、

鬱病の人、少なくとも私は常に

「生きることを放棄したい」と考えています。

それをつなぎとめているのはやっぱり

「生存本能」、

要するに生物に備わった最終安全装置です。

これさえ解除して自殺してしまう方も

この世にはいるのが鬱病の恐ろしいところです。

一昔前に

「ブラクラ(コンピューターウィルスの一種)踏んだ、鬱だ、死のう」

なんてネタがありましたが、

こういう人には

甘えるなヴォケでいいと思います。

鬱なら「おはよう、死のう」

「お休み、今日も死ねなかった」です。

そもそもウィルスに感染するほど

PCをいじる元気さえない人もいます。

生きる元気さえないか、

生きているのは大前提で元気が無いか、

それが鬱病かそうでないかの

「境界」ではないでしょうか。

「心の風邪」なーんてぬるいですわ。

「心の複雑骨折」って言ってほしいものです。

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