「私は人を教える立場にならない方が
いいと思う」のその3です。
今回は自分の完璧主義が、
人を教えるのにいかに障害になっているのか
について、語っていきます。
完璧主義故に「失敗」というものが、
自分のものも人のものも許せず、
凝り性故に自分の中にある「完璧」から
脱線することが許せないんです。
こんな人間ですので、モラハラ・パワハラ人間に
なってしまうと思います。
目次
完璧主義への考察
さて、人を教えるのに大切な事を
語って参りましたが、依然も言ったように
私は完璧主義です。
加えて凝り性です。
そして人を教えることで大事だと思うことは、
高圧的に接しないで、相手と自分を意識する
です。
おわかりいただけただろうか。
完璧主義と凝り性ゆえに、相手の出来ないところ
挙句の果てには、自分の周りを
ウロチョロされることもOUTです。
こんな人間が、教えたことを自分の想定通り
他人を教えたとき、一体何が起きるか。
「地獄」が生まれます。
出来ないことにキレて、責めて、委縮させる。
典型的なパワハラ・モラハラ人間。
人を教えるべきでない人間の出来上がりです。
完璧主義故に、「失敗」というもの、
自分のものも人のものも許せないんです。
凝り性故に、自分の中にある「完璧」から
脱線することが許せないんです。
人を教えるのに必要なことを、
完璧にそろえなければならないわけでは
ありませんが、自分の持つ特性が、
その必要なものからほど遠いのです。
これも含めて、自分の完璧主義と凝り性は
今後の自分の課題と考えています。
コメント