色々とやめた話[その3]

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「普通」をやめた話

これが私の人生で

一番大きい事だと、

自負しています。

私は昔からよく

「普通にしてて」

と言うようによく怒られました。

アルバイトでも、

正社員でも、

「普通こう考えるだろ」

とよく言われたものです。

正直な話、

「知らんよアンタの普通なんか」

って話でした。

私が普通と思うことをしたら

「普通にしろ」だの

「普通にやって」だの

うるさいったらありゃしない。

それでも同時に、

「自分が異常なのか?」

とも感じていたため、

「はい」とだけ頷いていました。

発達障害と鬱病を宣告されてから、

真っ先に考えたのは

この「普通」についてでした。

「普通って何だろう」

と言うことを考えていくと、

それは

「あくまでもその人の見知っている狭い世界で通用すること」

になってしまいます。

私は「普通」を嫌悪しました、

それは私と言う自我に対する、

明確な敵意だと

考えるようになっていったからです。

「普通なんて結局は個人の考え、存在しない」

と言うのが私の自論で、

現に私は「普通」という言葉を使わないで

話をするようになりました。

しかしまだこの時は、

「普通なんてこの世にはない」

という考えを周りに押し付けておりました。

「普通」と人が使うたびに

「普通って何?」

といちいち食って掛かる

めんどくさい人間の出来上がりです。

私のこの考えは、

このころは生まれたてのように

幼いものでした。

そんな押し付けを、

周りにしているうちに

私はその押し付けに

気づき始めました。

「普通」というものにイライラしているとき、

私はこのイライラの原因を探っていました。

その時、

自分がしている「普通」への反発が、

過去に私が言われてきた「普通」のような

押し付けであることに気づきました。

私は「普通」にイライラしても

人に反発することをやめました。

確かに「普通」という言葉は、

今も耳障りなことこの上ないものです。

ですがここで私が

その感情を表に出すことは、

「私が散々普通を押し付けられてきた」

それと何ら変わらないのです。

ここで私は、

ようやく本当の意味で「普通」をやめました。

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