「楽をする」ことについて[その2]

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「「楽をする」ことについて」のその2です。

今回はこの記事を書くきっかけについて、

改めて語ってまいります。

「その1」と内容がかぶっていたり、

端々に私怨が混じっていたりしますが、

「各内容に困ったんだな」と、

生暖かい目で見ていただければ幸いです。

ここまで各内容に困った中、

3000文字まで引き延ばした自分を

ほめてあげたいです。

目次

ことの発端

それは何気ない会話でした。

まぁありふれた、「過去の栄光の自慢」では

ありますが、嘘か誠かは定かではないですが、

父は昔からアイディアマンでした。

父曰く、昔から廃材やジャンク部品を駆使して

興味の赴くままに機械を作ったり、

自由研究にも人とは違ったものを提出したり。

社会人になり、公務員となった際も、

設備や制度について

アイディアを出していました。

昔から、こういった武勇伝を聞かされていたのも

私の自己肯定感が低い理由かもしれません。

「この人は絶対超えられない」という気持ちが、

昔から持っていました。

そういった自分とも向き合えるようになったので

父に聞いてみました。

「アイディアの源流って何なの?」と。

その時に聞いたのが、

「楽をすることかな?」

というものでした。

自分の現状を楽にするために、

または自分の持つ目的を達成する過程で

どうしたら楽ができるかを考え、

それを実行に移してきたとのことでした。

思えば人類の発明も、全て人類が

楽をするために作られたものばかりだなと、

この時私は考えながら聞いておりました。

楽をするために道具を作り、

楽をするために制度が生まれ、

父に限らずアイディアの源流はすべて、

「楽をすること」に繋がるのだと感じました。

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