ADHDを宣告された話[その2]

絶望
目次

筆者のこれまで

私はADHDを宣告される前、自身のことを

「人間のクズ」「有能な姉を作った後の搾りかす」「全炭素系生物の恥」

と思って過ごしておりました。

出来ないこと・やらかしたことが多くて、「私はダメ人間」と思って

毎日を過ごしておりました。

そんな私のこれまでですが、

読者の皆さんの中には「わかる」という方もいらっしゃるのではないかと私は思います。

幼稚園の頃から落ち着きは無く、

「お口チャック、手はお膝」というフレーズはよく耳にしておりました。

あまりに落ち着きがなく、先生から倉庫に閉じ込められることもありました。

またほかの園児ともトラブルを起こす・入ってはいけないところに入る

といった問題行動も多く、先生から怒られることは日常茶飯事でした。

そんな落ち着きがないまま小学校までを過ごしていたのだから、

当然盗み・暴力・暴言・無視といった、所謂「いじめ」の対象でした。

学習塾でも同様に、暴力・暴言を受けていました。

そんな私ですが、低学年までは「突飛なことをする奴」でしたが、

高学年からは「変な奴」くらいには行動が落ち着いてきました。

それでも問題がなかったわけではありませんが、友人も少なく、

休み時間にイラストや漫画を描いている「陰キャ」を絵にかいたような人物でした。

学習面でも成績は低く、運動も苦手、

音楽のリコーダーの指使いが覚えられなかったです。

親からはテストや通知表を見せるたびに

「(学校・塾の)なんとか君はこんなにできるのに!!」

「こんな点数じゃ中卒で働くことになるよ!?」

と口癖のように言われたことから、正直な話、今でも自分の頭は悪いと考えています。

思えばここから、「自分=ダメ人間」の図式が完成しており、

私の口癖は「どうせ俺なんか~」となっていました。

その後中学受験に落ち、高校・大学に進学したのですが、

大学では打って変わって成績はトップから5番くらいには位置していました。

しかし研究室に入ると、研究の進みが遅く、

「やらなきゃ」と思うたびに動画やゲームをするようになり、

挙句の果てに論文のチェック日を勘違いし、

アルバイトを入れてしまって教授を怒らせてしまいました。

今でも大学には、自責の念で近づけない程に、私はこのことを深く後悔しています。

大学の交友関係も希薄で、

休日に集まって遊びに誘われたりするほどの深くて濃い交友関係はありませんでした。

アルバイトではシフトを減らされる・クビにされる・続いても評価が低いと、

労働への成功体験がないまま時が過ぎ、結局そのまま社会人になりました。

案の定、手も覚えも遅かったため最初に配属された部署では「見込みがない」と言われ、

のちに配属された部署では鬱病になり、結局辞めて現在に至ります。

以上が大まかにまとめた、筆者のこれまでです。

自分をダメ人間と思い、周りから受け入れられにくく、成功体験も少ない。

今考えればこれもすべて、ADHDの特性が招いたことなんだなと、

自分はそういう個性なんだと思えるようになりました。

ランキング参加しています、クリックお願いいたします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次