働きたくない話[その3]

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筆者の職歴_後編

正社員

さて、

一つとして労働での成功体験なく

大学院を卒業したわけですが。

ここからは正社員時代の話となります。

当然ながら成功体験は無く、

結論から言えばここで

完全に心が折れ

現在に至るため、

非常に重い話となります。

1年目

大学院時代、

就職活動に消極的だったため、

就職に苦労しましたが、

何とか精密測定機器メーカーに就職しました。

今思えばこの消極的さも、

労働への恐怖心だったのかもしれません。

さて、面接の際に

「設計できる?」

と聞かれ、

「授業でやりました」

と回答した結果、

ハードウェアの設計に配属されました。

困惑しました、

確かに大学の授業で

設計・製図はやりましたが、

いわば

「真面目に授業に取り組んでいたから単位がもらえた」

という状態で、

その出来・スピードはお粗末なもので、

とても現場で通用するものではないと

自負していたからでです。

「せっかく配属されたのだから」

という理由で、

私は私なりにこの仕事に

懸命に打ち込みました。

ですが結果は、

今までの職歴と同じく

「覚えが悪い」

「手が遅い」

「ミスが多い」

挙句直属の上司は

「身の回りのすべてのものに敵意を向けている」

ような雰囲気を

醸し出すような人物であったため、

案の定あたりも強かったです。

そんなこんなで1年が経ち、

部署の責任者と会社の上層部から呼ばれ、

「見込みがない」

とのことで設計を降ろされ、

機械の組み立て業務に

従事することになりました。

「私は制御系の研究をしていました」

という訴えは

「過去の栄光」

の一言でまとめられ、

結果私は、

後々まで悪夢に見る、

組立部門に異動となりました。

2年目

さて2年目に配属された機械の組み立て部門ですが、

正直異動の段階から嫌々仕事をしていました。

1年目に研修として

一か月ほど配属されたのですが、

体育会系の職場環境で肌に合わなかったことと、

上層部との話し合いまでの1年で

労働へのモチベーションが

かなり削がれていたからです。

加えて出張・残業・休日出勤が非常に多く、

人がいないくせに

見上げるように大きな機械を

何台も作ることが多く、

「努力」というものに

価値を見出せなくなっていきました。

「辞めたい」という気持ちと

「自分は甘えているだけ」という考えの間で

苦しんでいましたが、

次第に転職と言う道を

模索し始めていきます。

しかし転職支援サイトに登録し、

そこで知った転職のイベントに

参加したのですが、

そのイベントで話したアドバイザーから、

「人がいいなら転職はしない方がいい」

と言われ(当時は人のことは気になりませんでした)、

転職を諦めました。

そしてその日は

「嫌なことばっかりだけど、頑張っていればいつかいい事がある」

と自分を奮い立たせ、

帰路につきました。

3年目

今も覚えています、はっきりと。

あれは2月の部署ごとの飲み会でした。

その飲み会で

「これからもっと忙しくなる」

「残業も休日出勤も増える」

「私にも永遠のように長い出張や、

より責任ある仕事が任される」

そしてそれらを聞いて、

みんながやる気を出して

楽しそうに飲み会をしている様子を

私は目の当たりにしました。

前述の通り、

この組立部署は忙しいです。

営業が人や場所のことを考えず

仕事を取ってきて、

上層部がそれにGoサインを出すため

残業は多い。

当然そんな状態なので休日出勤が多く、

週末には必ず

「土日出れるか」と聞かれる。

国内外問わず、

長期の出張がかなりの頻度であり、

帰ってきた人を見ると

みんなげっそりと疲れている、

少なくとも私にはそう見える。

狭い機械の中で、

無理な姿勢で穴あけや

ねじ止めをすることが多く、

重いものの運搬などもあるため

体のあちこちが痛くなるし、

どこかしら怪我をする。

上記の様な状態なのに、

もっと忙しくなって、

もっと自分の時間が無くなって、

それが退職するまでずっと続く、

何ならそれ以上の状態になる。

その時、

私は初めて

「心が折れる音」

を聞きました。

それは

硬い地面に、

力強く握りしめたサラサラの粉末を、

力いっぱいたたきつけたような音」

でした。

その飲み会を境に、

私の頭の中は

「死にたい」

でいっぱいになりました。

「もう私の人生に希望なんてないんだ」、

私は強くそう感じました。

そこから私は「会社の上下関係」、

特に「先輩後輩」の関係が嫌になりました。

顎で使われ、

名前さえ呼ばれずに呼びつけられ、

理不尽な要求を毎日され、

「なぜ私は、

人としての尊厳まで

踏みにじられなければならないのか」

「ここは刑務所か?

私の生きていることがそんなにも重罪か?」

と、

「死にたい」

「生きていたくない」

という希死念慮とともに

日々不満を募らせていきました。

それから私は、

2度にわたり自殺未遂をし、

姉の勧めでメンタルクリニックに通い、

結果的に1年ほど休職したのち退職しました。

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