「鬼野子」です。
私は人生で、その半分以上を
「自分は無価値」
と思って生きてまいりました。
この記事を読んでいる方々も、
きっと
「自分なんてこの世に必要ない」
って日ごろ思っていることかと思います。
私も特に、鬱が酷いときなんかには、
そんなことを思っております。
生きている意味に疑問を感じることって、
結構ありますよね。
そして行きつく結論はいっつも
「自分は存在価値無し」。
そりゃ嫌になっちゃいますよね。
「自分の価値は自分で決める」
こういう言葉をよく耳にしますが、言い換えれば
「自分の価値は
いくらでも盛っていい」
いっそアメリカと中国を丸々買っても
一生遊んで暮らせるくらいの法外な値段を
付けてみるのもありだと思います。
・・・そんな価値無い?
まぁ確かに極端すぎる例えですね。
でも言いたいことは
「ほかの何かと比べて
無価値と思うのことも、
自分にはとても価値がある
と開き直ってしまうのも
完全に自由」
なのです。
私がそうだったのですが、大抵自分を無価値と
判断する際には何かしら基準がありました。
それで皆さんは、自信を反射的に
無価値と決めているのではないでしょうか。
でも
「自分の価値なんて結局は
自分で決めるもの」
それなら
「開き直って
ぼったくり価格を
付けましょう」
無価値と決めつけて辛くなるなら、
いっそ開き直っちゃいましょう。
そもそも
「毎日辛いと思いながら、
死にたいと思いながらも
必死に生きているあなたが
無価値なわけがありません」
努力もしていない・頭が悪い・仕事をしていない
色々と無価値な根拠はあるでしょうが、
「それでもあなたは
必死になって生きている」
「現状をどうにかしようと
努力している」
それに大切なのは過去ではないです。
「明日以降のこれからを
どう生きたか」
です。
あなたの事を無価値と笑う人間がいたとしても
それにあなたの価値を決める権限はありませんし
渡してもいけません。
自分には価値があると、
あなたが開き直り続ける限り、
そしてあなたが明日以降を必死に生き続ける限り
あなたは無価値なんかではありません。
明日に向かって「生きてます」。
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